3月4日の展示品より「日本組曲」原譜の紹介をします。 1934年にGeorge Copelandの為に書かれた「ピアノ組曲」を、サントリー音楽財団の委嘱により、 1991年オーケストレーションしたものが「日本組曲」です。 70年以上たった今もその躍動感は生き続けています。
伊福部昭音楽祭実行委員会 藤田崇文
協力;伊福部家 写真の無断転載を禁じます。(photo by sowbun)
またお邪魔いたしました。 当日、展示されている品々をじっくり拝見させて頂きましたが、 言葉が出ない感動でした…。 私は伊福部先生に一度だけお会いした事があるのですが、 一生の思い出です。
比呂志様 いつもHPアクセスありがとうございます。 伊福部先生はどなたにも分け隔てなく接してくださる方でした。本当に素晴らしい先生でした。
コンサート当日は展示品周辺が大変混雑してしまいましたが、 順次ピックアップして紹介していきますので、またHPアクセスしてくださいね。 伊福部昭音楽祭実行委員会 藤田崇文
比呂志様 追伸です。 音楽祭終了後は、角川書店「特撮ニュータイプ」に若干ですが、掲載されました。 来週になりますが、HPにUPします。もうしばらくお待ちくださいね。 その他、(北海道)十勝毎日新聞社では3月9日(金曜日)の紙面に。。
5月からは北海道新聞社(釧路版)で毎週4回に渡り、音楽祭に関した 記事などが扱われる予定になっております。 伊福部昭音楽祭 藤田崇文
藤田崇文様、音楽祭情報感謝致します。 仰る通り、伊福部先生は本当に素晴らしい方であったと 今更にも感じ入っています。 私の先生との音楽の出会いは忘れもしない7歳の頃。 ある映画の音楽で、でしたが。 また純音楽作を初めて聴きましたのはシンフォニアタプカーラでした。 「銀嶺の果て」における登場人物の台詞ではありませんが、 それ以来、伊福部音楽の魅力から離れられません。 あの心を引きつけて止まない、謙虚ながら強烈、 また穏やかな人柄に相反するような巨きく烈しい音楽。 然しその言葉、姿勢に見え隠れするその苛烈さ。 それに魅せられつつ現在に至ります。 先生を語る時には思わぬ「熱く」なってしまいます。 一方的に自身の想いをただ語ってしまいました、 長文・乱文大変失礼致しました。 また情報のUPを心待ちにしています。
またお邪魔いたしました。
当日、展示されている品々をじっくり拝見させて頂きましたが、
言葉が出ない感動でした…。
私は伊福部先生に一度だけお会いした事があるのですが、
一生の思い出です。
比呂志様
いつもHPアクセスありがとうございます。
伊福部先生はどなたにも分け隔てなく接してくださる方でした。本当に素晴らしい先生でした。
コンサート当日は展示品周辺が大変混雑してしまいましたが、
順次ピックアップして紹介していきますので、またHPアクセスしてくださいね。
伊福部昭音楽祭実行委員会 藤田崇文
比呂志様
追伸です。
音楽祭終了後は、角川書店「特撮ニュータイプ」に若干ですが、掲載されました。
来週になりますが、HPにUPします。もうしばらくお待ちくださいね。
その他、(北海道)十勝毎日新聞社では3月9日(金曜日)の紙面に。。
5月からは北海道新聞社(釧路版)で毎週4回に渡り、音楽祭に関した
記事などが扱われる予定になっております。
伊福部昭音楽祭 藤田崇文
藤田崇文様、音楽祭情報感謝致します。
仰る通り、伊福部先生は本当に素晴らしい方であったと
今更にも感じ入っています。
私の先生との音楽の出会いは忘れもしない7歳の頃。
ある映画の音楽で、でしたが。
また純音楽作を初めて聴きましたのはシンフォニアタプカーラでした。
「銀嶺の果て」における登場人物の台詞ではありませんが、
それ以来、伊福部音楽の魅力から離れられません。
あの心を引きつけて止まない、謙虚ながら強烈、
また穏やかな人柄に相反するような巨きく烈しい音楽。
然しその言葉、姿勢に見え隠れするその苛烈さ。
それに魅せられつつ現在に至ります。
先生を語る時には思わぬ「熱く」なってしまいます。
一方的に自身の想いをただ語ってしまいました、
長文・乱文大変失礼致しました。
また情報のUPを心待ちにしています。